
現代語抄訳
岩切村の山中に青麻権現社がある。この地は昔青苧(註1)を植えたので地名となった。高さ一丈余りの岩窟があり、古来大日・不動・虚空蔵の三佛を祭ると伝えられていた。
村人に久作という者がいて、後に所兵衛と名を改めた。淳朴正直であったが、長く目の病を患い遂には失明に至り、日毎に困窮を極めていった。天和二年(註2)の四月一日、一人の老人が来て告げるには、丑の刻の夜更けに斎戒沐浴して天を拝みなさい。吾はお前が性格が淳朴なのを知り、その目が見えなくなったのを憐れにおもう。お前が吾が教えに従えば程なく病は癒えるであろう。」と言い残して忽然と立ち去り、行く先もわからなかった。久作は信心骨にしみて、老人の去った方を拝んだ。その後、老人の教えのごとく天を拝み暫く黙祷していると、やがて星の光が目に満ちて、辺りの草木もわかるようになってきた。いよいよ信心を堅くし、毎夜天を拝み続け三十日余りで目の病は全快したのであった。かの老人がまた現れたが、その風貌は常人と異なり、白髪朱顔でその眼光は人心射るものがあり、「お前の目の病は癒えたか。」と問われたが、久作は恐れ畏み平伏して仰ぎ見ることができなかった。畏まったまま、「幸いにも慈恩を蒙りまして、目の病は癒えました。感謝の言葉もありません。願わくは御老人のお名前とお住まいを教えください。」と答えた。老人が答えて言うには、「吾はその昔源義経公の臣下であった常陸坊海尊である。今は名を清悦と改めている。四方を渡り巡り、暫く下野国(註3)の出流山中の大日窟に隠遁していたが、今からはこの窟に移り住もうと思う。この窟には何神を祭っておるか。」と。久作は「村人がかつてより大日・不動・虚空蔵の三佛(註4)を祭っております。」と答えると、老人は「それは幸いだ。吾が祈念するところも日月星である。今よりは此の窟を三光窟と称し天長地久国家安泰を祈りなさい。」と言って窟に入られた。
その後、海尊仙は常にこのあたりの山中を遊行しており、ある樵夫がいて、その母親が中風を患っていたので、偶々山中で仙人を見かけ救いを乞うと、仙人は「桑の箸で食すれば、その病は全快し長寿するであろう。」と教えたとのこと。その他奇異なことが甚だ多く、因って此の処に宮社を祠り、青麻岩戸三光窟また青麻権現と祟められ、遠近相伝えて祈願する者が絶えない。
(註1)苧(からむし)大麻とともに麻の繊維原料をとる植物
(註2)天和二年は西暦一六八二年
(註3)下野国は現在の栃木県
(註4)神仏習合により
日神 天照大御神 大日如来
月神 月読神 不動明王
星神 天御中主神 虚空蔵菩薩 としている
出典 封内風土記・塩松勝譜・その他




